一つの命 |
昨日、私の父親の上から3番目の叔父が天国に行きました。 頭を撫でて貰ったり「おっちゃんな、小遣いやりたて持って来たんやで」って良くポケットから三百円や四百円をいっぱい持って来て姉や私に蒔いてくれました。 泊まりに来た時にはスッゴイいびきで二階から下の台所迄聞こえるゴジラみたいなおっちゃんでした。 正月に泊まりに来た時はお餅が大好きで親戚の中で一番沢山我が家で作ったお餅を飲む様に食べていたおっちゃん。 兄弟の中でも婆ちゃんに似て体型は丸。 他の兄弟は四角。 あのおっちゃんだけ違っていました。 昔、京都に住んでいた時があって、それからは「京都のおっちゃん」と呼んでいました。 一人一人身内の人が亡くなって逝く。 仏になる尊い日。 私は仕事を休み、おっちゃんを見送らせて頂きました。 不思議と雪が外に出ると晴れ。 中に居ると降って帰りは雲の隙間から太陽の光がさしていました。 先に奥さんが亡くなり必死で一人息子の為に頑張って自宅に居てギリギリに病院で生きを引き取りました。 亡くなった顔が祖母と同じ顔から一番下の叔父さんにそっくりでした。 丸の顔が不思議でした。 一つの命が亡くなる。 通夜の時は亡くなった上3人が揃って前に立って葬儀の時には来た方々に「おおきに」「ありがとうな」と頭を下げていました。 息子さんが挨拶の時、「上手い事、喋るなー。見てあげてな。」と私の側に来て最後に初めて自慢して行きました。 立派な父親だったと本当は拍手してあげたかった。 流石に恥ずかしく出来ませんでしたが素敵だと感動しました。 息子を思う思い方はそれぞれ違うと思いますが、あのおっちゃんは不器用な人なりに精一杯死ぬギリギリ迄愛し抜いたんだと思いました。 身内としても埃に思います。 ある意味カッコいいなあー。って。 人生の最後を見送らせて下さって、こっちが「ありがとう」でした。 若い時から両親が亡くなり早くに大人の中に顔を出す事になり沢山の仏さんを見送って来させて頂き段々自分も年が行っているのに気が付きました。 私は私の知ってる遣り方や感じ方をマザーの子供達に、いつ居なくなっても「芸は身を助ける」の信念で惜しげも無く教えて来ました。 これからも時間のある間に教えれる事は教えて行かなければと更なる決心をしました。 今、生きているのが奇跡だから。 親のいる内に子や妻、夫への愛とは何ぞやを少しでも残せたらと思います。 見えるや聞こえるや感じる。 そんな能力よりも一番大切な事。 それは体験です。 愛して貰い育つ事。 愛してあげて育てる事。 許す事。待つ事。 信じる事。笑ってあげる事。 愛なんです。作っても偽の愛では子供は逃げて行きます。 ハグしたり、 頭を撫でたり。話しをしたり。 一緒に泣いたり。 今の親は叱り過ぎか過保護過ぎ。 バランスが取れていない。 飴と鞭を使い訳しないと飴ばかりだと親から自立出来ない人になります。 人間わ育てて下さい。 それと叔父の亡くなった日が二月七日でした。 二月八日が父親の命日の日でした。 葬儀があった為、今日疋田で沢山の花を飾り父親の法名を書いて沢山のお供え物を置き沢山御線香を焚いて長いお経を何度もあげました。 御先祖様へ。後には追善で大きな白い菊を足して父親の法要をさせて頂きました。 身体中が熱く手が真っ赤になりました。 終わる頃に「あんやとな」と父親の声が聞こえました。 弟を見送り父親の法要もしてくれて父は小さな声でハッキリと御礼を言ってくれました。 こんな事しか出来ない私に父親は感謝してくれました。 法事をしないでいいのか心配したけど私なりに精一杯ワシを思ってくれた。 それが法事や。結構な気持ちやったわ💖って言ってくれました。 アイスコーヒーが好きでお客さんが帰られた後に作って甘い物も沢山供ました。 ごっそさん。ほな!美味かったわ。と父親は一言言って透明になり消えました。1日遅れの一人ぽっちの法要とおっちゃんの葬儀の話はお仕舞いです。 生きていればこそ供養させて頂けたのです。 お盆には又お参りに行って感謝して来たいです。 生かさせて頂いて有り難う御座います。
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